坂を上るとき足が胸につきそうなくらい急な坂道
からこの名がついた。
江戸享保年間では、この坂が「菊坂」と呼ばれていた。
旅館「鳳明館」辺りから西へ菊坂通りまで
本郷5丁目6丁目
昔、あたり一面菊畑だったのに対しこの付近
だけなかった為、「菊なし坂」とする説や
梨の木があったからと言う説がある。
本郷5丁目
旅館「鳳明館から南へ菊坂通りまで
15世紀半ば辺り一面が菊畑だったことがこの名がついたと言われている。
本郷通りの文京センタービルの脇から西片1丁目まで、長い緩やかな坂である。
明治期、樋口一葉の住居や石川啄木の下宿先、数多くの芸術家や文人に愛され
た宿「菊富士ホテル」等があった。
本郷4丁目5丁目
本郷三丁目交差点近辺
江戸時代、江戸を追放された人が
ここで放たれ、見送りの人が南側
で見送り、追放者が北側で別れを
惜しみ見返ったことからこの名が
ついたと言われている。
菊坂
見送り坂 見返り坂  
武蔵野台地の東端にある本郷台。大小の谷があり非常に起伏のある町並みです。その為、 坂道が多くなっております。ここでは、名前の由来などをご紹介いたします。 また、明治期になると東京大学の開設により、数多くの文人や芸術家に愛された町としても有名です。数多くの旧跡の中からいくつか抜粋して併せてご紹介致します。
鐙坂(あぶみざか)
炭団坂(たどんざか)
本郷4丁目
昔、鐙(馬具)を作る職人の子孫が住んでいたという説と
坂の形が鐙に似ていたからという説がある。また坂下には、
都心では最近めっきりなくなってしまった昔ながらの銭湯「菊水湯」がある。
本妙寺坂(ほんみょうじざか)
梨の木坂
胸突坂
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其の1
文京センタービルから菊坂下交差点
本郷4丁目5丁目
現本郷小学校の前から菊坂へ下る坂で、
江戸時代、振袖火事(明暦の大火、1657年)
の火もとと言われている本妙寺の山門があった
ことからこの名がついた。
本郷小学校から菊坂通り
本郷4丁目
本郷4丁目
太平洋セメント前から菊坂下道
人が炭団の様に転がるくらい急な坂で現在は
階段となっている。
また坂上には明治期「小説神髄」の坪内逍遙
や正岡子規も住んでいた。